【宮城県名取市】 2024年12月のこと

久しぶりに「名取市(なとりし)震災復興伝承館」へ見学に。

ここは、名取川沿いにある「かわまちてらす閖上(ゆりあげ)」から500mくらい河口側へ行ったところにある、無料で見学できる施設。

見ていたら、館内の展示のなかに、こんな気になるものを見つけました───


01 震嘯祈念石碑地震があったら津浪の用心、宮城県名取市閖上日和山、仙台観光情報ブログTanji
[01] 閖上の日和山(ひよりやま)に、『地震があったら津浪の用心』と刻まれた石碑が昔からあったことを紹介しているパネルです。

なんと、閖上にもこの石碑があったとは!

昭和8年(1933年)3月3日「昭和三陸地震」を経験した人達が、地震後の津波への用心を、後世の人たちへ伝える石碑。

東日本大震災がきっかけで、宮城県の海のそばには、昔からこういった石碑がいくつもあったことが知られるようになりました。

僕は10年ちょっと前、宮城県気仙沼市にある唐桑半島を旅した時、「唐桑ビジターセンター」という所にあった『地震があったら津浪の用心』の石碑を見て、初めて知りました。
唐桑半島ビジターセンター津波体験館 (ブログ内リンク)

以来、県内の海近くをウロツク時は、この石碑の存在も気にしています。


02 震嘯祈念石碑地震があったら津浪の用心、宮城県名取市閖上日和山、仙台観光情報ブログTanji
[02] これも「名取市震災復興伝承館」のパネル。

たぶん、写真中央が『地震があったら津浪の用心』の石碑。 背後に写っている高さ6mくらいの盛り土みたいなのが日和山。

いつもまでこの状態だったのかは分からないけど、昔はこういったふうに石碑が建っていたようです。

教訓
なぜ人は逃げなかったのか

名取市閖上には、昭和三陸津波の碑がありました。
しかし、1960年チリ地震津波で、名取市は大きな被害がなかったため、いつしか「閖上には津波は来ない」という安全神話が浸透していました。
昭和三陸津波の碑も日和山公園や名取川沿いに建立されていることを知っている人は多くありませんでした。
東日本大震災では、名取の場合、もちろんの津波の発生を想起し率先して逃げた人もいましたが、「閖上には津波は来ない」という安全神話が犠牲者の発生に大きく影響しました。


03 震嘯祈念石碑地震があったら津浪の用心、宮城県名取市閖上日和山、仙台観光情報ブログTanji
[03] 閖上の日和山には何度も行ったけど、この石碑があったとは知らなかった! ということで、さっそくその足で日和山へ。 実物を見ないと気が済まない。

ここが日和山です。 「名取市震災復興伝承館」から500mほど移動したところにある高さ6mほどの盛り土の山。 上には「富主姫神社」。

震災犠牲者の慰霊に手を合わせに来る人、閖上観光の1ヶ所として来る人、オルレコース付近にあるので歩く途中に立ち寄る人、ここを訪れる人はさまざまです。


04 震嘯祈念石碑地震があったら津浪の用心、宮城県名取市閖上日和山、仙台観光情報ブログTanji
[04] 周りが段々整備されていくなか、何年か前に石碑が並べて建てられたのは気付いたけど、このなかに『地震があったら津浪の用心』があったんですね。 ちゃんと見ていなかった…。


05 震嘯祈念石碑地震があったら津浪の用心、宮城県名取市閖上日和山、仙台観光情報ブログTanji
[05] 石碑の表側。

宮城県の海沿いで、仙台市より北側にある石巻市・女川町・南三陸町・気仙沼市ではけっこう見かけた。

けど、仙台市、そして南側の名取市・岩沼市・亘理町・山元町では初めて見た。

『地震があったら津浪の用心』と刻んであることは一緒。 これまで見たのは題字が大震嘯災記念(だいしんしょうさいきねん)、ここで見たのは震嘯祈念(しょうさいきねん)。 目的は同じ石碑だけど、じゃっかん違う部分がある。


06 震嘯祈念石碑地震があったら津浪の用心、宮城県名取市閖上日和山、仙台観光情報ブログTanji
[06] 石碑の裏側


[震嘯祈念の石碑より]
震嘯祈念

地震があったら津浪の用心

昭和八年三月三日午前二時三十分突如強震あり。鎮静後約四十分にして異常の音響と共に怒濤澎湃し来り、水嵩十尺、名取川を遡上して西は猿猴囲に到り、南は貞山堀広浦江一帯に氾濫せり、浸水家屋二十余戸、名取川町裏沿岸に在りし三十屯級の発動機漁船数艘は、柳原囲の畑地に押上げげられ、小艇の被砕せられたるもの尠からざりしも、幸人畜には死傷なかりき。県内桃生、牡鹿、本吉の各郡、及び岩手、青森両県地方の被害甚大なりしに比し軽少なりしは、震源地の遠く金華山の東北東約百五十浬の沖合に在りて、怒濤の牡鹿半島に遮断せられ、其の余浪の襲来に過ぎざりしと、河口の洲丘及び築堤の之れを阻止したるとに因るなり。震災の報、一度天聴に達するや恐くも、天皇、皇后両陛下より御救恤として御内帑金を御下賜せらる。
聖恩の宏大なること、洵に恐縮感に禁へざるところなり。推ふに天災地変は人力の予知し難きものなるを以て、緊急護岸の万策を講ずべきは勿論、平素用心を怠らず変に応ずるの覚悟なかるべからず。茲に刻して以て記念とす。
昭和八年十一月三日






このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック