【宮城県名取市】 2025年2月のこと
名取市(なとりし)の海からだいぶ離れた辺り、宮城県道39号を車で走っていると、『中将藤原実方朝臣(ちゅうじょうふじわらさねかたあそん)の墓』という矢印看板がありました。
こういった看板あったんですね。
いろいろと勉強不足で本当に申しわけないんですが、僕ではわからない人物(汗)
看板にあったその人物らしき絵だと、奈良・平安時代の人物っぽい。(といいながら、看板の写真撮り忘れました)
何か案内板とかあったりするのかな。
その人物のことやどんな場所か気になったから、お墓へ行ってみることに───。
[01] 矢印看板の道へ入って行くと、すぐこんな場所が。 この橋から歩いて入って行くようです。
橋前を通り過ぎて50m程行ったところには、数台分の駐車場らしき場所もありました。
いやあ、名取市もけっこうウロツイているんですけどね。 ここは初めて。 全く知りませんでした。
人知れず、といったかんじでも全然ないし、ちゃんと整備された場所でびっくりしました。
[02] 「実方橋(さねかたばし)」というそうです。 用水路に架かる小さな橋。
全部コンクリートだけど、こういったちょっとした雰囲気づくりっていいですよね。 写真を撮りたくなる。
きっとこの地に関わる歴史上の人物なんだろうなあと、この場所を知ることへのわくわく感が湧いてくる。
さて、ここから歩き。 どのくらい歩くんだろう……。
この場所の呼び方なんですが、実方という人物の呼び方がいろいろあって混乱するから、ここからは “藤原実方という人物の「藤原実方朝臣の墓(ふじわらさねかたあそんのはか)」” という言い方のみにします。
[03] 「実方橋」を渡ったら掲示板があり、藤原実方という人物や墓について説明するリーフレットが貼ってありました。
まあ、僕が読んでもちゃんと理解できないけど(汗)、どのような人物なのかは、大まかにわかった気がします。
このリーフレット、どこかで配っていたりするのかなあと少々調べたら、ネットでPDFを見つけました。 リンク貼っておきます!
名取市の公式観光サイト内「中将実方朝臣の墓」のPDFページ(外部リンク)
⇒ https://www.kankou.natori.miyagi.jp/wp-content/uploads/2016/03/6.pdf
[04]
次の[実方メモ]は、今回の「藤原実方朝臣の墓」の見学で知った実方情報を、自分用にまとめたメモです。
いちおう書いておきます。(あとで自分が見ることもあるから(笑))
[実方メモ]
藤原実方朝臣 (ふじわらのさねかたあそん)(誕生不明~998年没)
● 生まれた年は不明だが950年頃とされている。
● 当時の都、京都で生まれる。
● 名門貴族・藤原氏の出身。
● 美しい顔立ちで文武両道、宮中の女性達から人気を集めた花形の貴公子だった。
● 紫式部「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルになった一人といわれる。
● 和歌の才能に優れ、中古三十六歌仙に選ばれた一人。
● 995年(長徳元年)、陸奥(当時の東北地方)の国司(知事や裁判官みたいな役割)を任され、陸奥へ。
● 職務をしながら様々な歌枕(和歌に多く詠まれる名所)を訪ねて回った。
● 名取市愛島・佐倍乃(さえの)神社を馬で通りがかった時、土地の人に、下馬して拝んだ方がいいと言われたが、無視して通ろうとしたらバチが当たり、急に馬が暴れ出し、落馬して怪我をした。
● 998年(長徳4年)11月13日、その落馬の怪我がもとで陸奥の地で亡くなる。40歳くらい。
↓ 僕のかってな想像、藤原実方の人物像です
紫式部と同じ時代を生きた「源氏物語」光源氏のモデルの一人でアラサーになって京都から宮城に来た“超イケメンの実力派・天才歌人”!
[05] 松尾芭蕉の記念碑と句碑。
俳人・松尾芭蕉も「おくの細道」の旅路で、「藤原実方朝臣の墓」を訪れているそうです。 いや、正確にいうと、訪れ “かけた” とのこと。
雨天で足元が悪くてたどりつけず、やむを得ずあきらめたそうです。
1689年(元禄2年)5月のこととか。 松尾芭蕉にも、そんなことあったんですね。
写真左の句碑には、その時の悔しさを表わして残した松尾場所の一句が書いてあるそうです。
“笠島は いずこ皐月の ぬかり道”
写真右は、松尾芭蕉がここに来ようとしたことを記念する1989年に建てられた碑。
[06] 「草鞋塚の碑(わらじづかの碑)」。 “笠島はあすの草鞋のぬき処” という仙台の歌人・松洞馬年(しょうとうばねん)の句がかいてあるそうです。
現地にはいくつか案内の掲示があって本当によかった。 お墓周辺にある様々な石碑も、思いつきで訪ねた僕が見ただけじゃ、ひとつもわからずに帰ったと思います。
句碑の背後に生えているススキはに、「かたみのすすき」とかいてありました。
西行法師の句にちなんだススキだそうです。(あとでその句碑が出てきます、写真[13])
[07] 「藤原実方朝臣の墓」へと歩く道。
お墓への散策路は、周りの竹林などがきれいに手入れされていました。
[08] 竹林のなかにこんな風景が。 竹林と樽。
[09] ここが「藤原の実方朝臣の墓」! 「実沢橋」(写真[02])からは歩いて100mくらい。 すぐに着きました。
お墓、歌碑、案内板、ベンチなどがありました。
[10] 「藤原実方朝臣の墓」。
柵の木材が見るからに新しい。 案内板の作成時期には令和6年11月って書いてある。 周りもきれいに掃除してある。
ざっと見たかんじ、何ヶ月か前に、再整備されたばかりなのかも。
[11] お墓には、木の棒に紙垂(しで)をつけた御幣(ごへい)が立ててありました。
そう言えば昨年(2024)のNHK大河ドラマは、紫式部役・吉高由里子さんの『光る君へ』だった。 ちょうど藤原実方の時代の物語。
もしかしたら、ドラマにこの方も登場していたんだろうか。 吉高さんが主演だったから最後までひと通り見たけど、出てきていたかは覚えていないなあ。
[12] 「中将實方之墳」と刻まれている墓標。
[13] 「西行の歌碑」。 歌人・西行法師(さいぎょうほうし)が、1186年(文治2年)に「藤原実方朝臣の墓」を訪ねた時、“朽ちもせぬ その名ばかりを 留めおきて 枯野の薄 かたみにぞ見る” (朽ちることのない名声だけをこの世に残し、藤原実方は枯野に眠るというが、その形見は霜枯のすすきがあるばかりだ) という歌を詠んだとのことです。
さっきの「かたみのすすき」(写真[06]) は、この句にちなんだものでした。
[14] 「実方の句碑」。 “さくらがり 雨は降り来ぬ同じくは ぬるとも花の蔭にかくれむ”
[15] ここの案内板。 西行法師、松尾芭蕉、与謝蕪村、正岡子規といった人物が、この名取の地を訪れているそうです。
[16] 案内板のところに、藤原実方のガイドブックが置いてありました。
簡単にわかりやすく書いてある15ページほどの冊子。 僕みたいな気まぐれで訪れた知識が浅い人にピッタリ!
たぶんこれがなかったら、しっかりと書いてある案内板や掲示板のリーフレットを読んでも、僕には小難しすぎて藤原実方という人物の入口が見つけられなかったかも。
これをざっと見てから、すこし深く書いてある案内看板などを見るのが藤原実方の初心者には最適!
───しかしながら、矢印看板見つけて思い付きで立ち寄っただけなのに、すごくおもしろい散策になりました。
藤原実方という知ればすごい人物が、京都から名取へ来ていたんですね。 そのお墓には、西行法師、松尾芭蕉、与謝蕪村、正岡子規といった人物たちも訪れていた。
勉強になったなあ。 できるだけ覚えておかないと(笑)
名取市内には藤原実方にまつわる場所がいくつかあるそうです。 おもしろさを感じたから、そういった場所も今後行ってみたいと思います。
そしたら、またブログに書きます。
追伸。 いつもブログ記事が長くてすみません(汗)。 思う存分書いていると、どうしてもこうなります。
[現地情報] 場所:宮城県名取市愛島塩手字 北野42 / 入園料:無料 / 駐車場:あり(車4台分くらい) / トイレ:なし
●「藤原実方朝臣の墓」までは車道沿いにある実沢橋から歩いて100mくらい。
地図:藤原実方朝臣の墓
名取市(なとりし)の海からだいぶ離れた辺り、宮城県道39号を車で走っていると、『中将藤原実方朝臣(ちゅうじょうふじわらさねかたあそん)の墓』という矢印看板がありました。
こういった看板あったんですね。
いろいろと勉強不足で本当に申しわけないんですが、僕ではわからない人物(汗)
看板にあったその人物らしき絵だと、奈良・平安時代の人物っぽい。(といいながら、看板の写真撮り忘れました)
何か案内板とかあったりするのかな。
その人物のことやどんな場所か気になったから、お墓へ行ってみることに───。

橋前を通り過ぎて50m程行ったところには、数台分の駐車場らしき場所もありました。
いやあ、名取市もけっこうウロツイているんですけどね。 ここは初めて。 全く知りませんでした。
人知れず、といったかんじでも全然ないし、ちゃんと整備された場所でびっくりしました。

全部コンクリートだけど、こういったちょっとした雰囲気づくりっていいですよね。 写真を撮りたくなる。
きっとこの地に関わる歴史上の人物なんだろうなあと、この場所を知ることへのわくわく感が湧いてくる。
さて、ここから歩き。 どのくらい歩くんだろう……。
この場所の呼び方なんですが、実方という人物の呼び方がいろいろあって混乱するから、ここからは “藤原実方という人物の「藤原実方朝臣の墓(ふじわらさねかたあそんのはか)」” という言い方のみにします。

まあ、僕が読んでもちゃんと理解できないけど(汗)、どのような人物なのかは、大まかにわかった気がします。
このリーフレット、どこかで配っていたりするのかなあと少々調べたら、ネットでPDFを見つけました。 リンク貼っておきます!
名取市の公式観光サイト内「中将実方朝臣の墓」のPDFページ(外部リンク)
⇒ https://www.kankou.natori.miyagi.jp/wp-content/uploads/2016/03/6.pdf

次の[実方メモ]は、今回の「藤原実方朝臣の墓」の見学で知った実方情報を、自分用にまとめたメモです。
いちおう書いておきます。(あとで自分が見ることもあるから(笑))
[実方メモ]
藤原実方朝臣 (ふじわらのさねかたあそん)(誕生不明~998年没)
● 生まれた年は不明だが950年頃とされている。
● 当時の都、京都で生まれる。
● 名門貴族・藤原氏の出身。
● 美しい顔立ちで文武両道、宮中の女性達から人気を集めた花形の貴公子だった。
● 紫式部「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルになった一人といわれる。
● 和歌の才能に優れ、中古三十六歌仙に選ばれた一人。
● 995年(長徳元年)、陸奥(当時の東北地方)の国司(知事や裁判官みたいな役割)を任され、陸奥へ。
● 職務をしながら様々な歌枕(和歌に多く詠まれる名所)を訪ねて回った。
● 名取市愛島・佐倍乃(さえの)神社を馬で通りがかった時、土地の人に、下馬して拝んだ方がいいと言われたが、無視して通ろうとしたらバチが当たり、急に馬が暴れ出し、落馬して怪我をした。
● 998年(長徳4年)11月13日、その落馬の怪我がもとで陸奥の地で亡くなる。40歳くらい。
↓ 僕のかってな想像、藤原実方の人物像です
紫式部と同じ時代を生きた「源氏物語」光源氏のモデルの一人でアラサーになって京都から宮城に来た“超イケメンの実力派・天才歌人”!

俳人・松尾芭蕉も「おくの細道」の旅路で、「藤原実方朝臣の墓」を訪れているそうです。 いや、正確にいうと、訪れ “かけた” とのこと。
雨天で足元が悪くてたどりつけず、やむを得ずあきらめたそうです。
1689年(元禄2年)5月のこととか。 松尾芭蕉にも、そんなことあったんですね。
写真左の句碑には、その時の悔しさを表わして残した松尾場所の一句が書いてあるそうです。
“笠島は いずこ皐月の ぬかり道”
写真右は、松尾芭蕉がここに来ようとしたことを記念する1989年に建てられた碑。
元禄二年(一六八九年)漂泊の俳人松尾芭蕉は門人曽良とともにみちのくへ旅し 悲運の歌人藤原中将実方朝臣の塚を訪れようと名取の郡に入る 祈り悪しく日没と五月雨の悪路に阻まれ目的を果たせぬままこの地に無念の一句を残し通り過ぎる
時期過ぎて三百年 ここに芭蕉翁の句を記すとともに 追慕の思いを込めてこの日を建立する
時期過ぎて三百年 ここに芭蕉翁の句を記すとともに 追慕の思いを込めてこの日を建立する

現地にはいくつか案内の掲示があって本当によかった。 お墓周辺にある様々な石碑も、思いつきで訪ねた僕が見ただけじゃ、ひとつもわからずに帰ったと思います。
句碑の背後に生えているススキはに、「かたみのすすき」とかいてありました。
西行法師の句にちなんだススキだそうです。(あとでその句碑が出てきます、写真[13])

お墓への散策路は、周りの竹林などがきれいに手入れされていました。


お墓、歌碑、案内板、ベンチなどがありました。

柵の木材が見るからに新しい。 案内板の作成時期には令和6年11月って書いてある。 周りもきれいに掃除してある。
ざっと見たかんじ、何ヶ月か前に、再整備されたばかりなのかも。

そう言えば昨年(2024)のNHK大河ドラマは、紫式部役・吉高由里子さんの『光る君へ』だった。 ちょうど藤原実方の時代の物語。
もしかしたら、ドラマにこの方も登場していたんだろうか。 吉高さんが主演だったから最後までひと通り見たけど、出てきていたかは覚えていないなあ。


さっきの「かたみのすすき」(写真[06]) は、この句にちなんだものでした。



簡単にわかりやすく書いてある15ページほどの冊子。 僕みたいな気まぐれで訪れた知識が浅い人にピッタリ!
たぶんこれがなかったら、しっかりと書いてある案内板や掲示板のリーフレットを読んでも、僕には小難しすぎて藤原実方という人物の入口が見つけられなかったかも。
これをざっと見てから、すこし深く書いてある案内看板などを見るのが藤原実方の初心者には最適!
───しかしながら、矢印看板見つけて思い付きで立ち寄っただけなのに、すごくおもしろい散策になりました。
藤原実方という知ればすごい人物が、京都から名取へ来ていたんですね。 そのお墓には、西行法師、松尾芭蕉、与謝蕪村、正岡子規といった人物たちも訪れていた。
勉強になったなあ。 できるだけ覚えておかないと(笑)
名取市内には藤原実方にまつわる場所がいくつかあるそうです。 おもしろさを感じたから、そういった場所も今後行ってみたいと思います。
そしたら、またブログに書きます。
追伸。 いつもブログ記事が長くてすみません(汗)。 思う存分書いていると、どうしてもこうなります。
[現地情報] 場所:宮城県名取市愛島塩手字 北野42 / 入園料:無料 / 駐車場:あり(車4台分くらい) / トイレ:なし
●「藤原実方朝臣の墓」までは車道沿いにある実沢橋から歩いて100mくらい。
地図:藤原実方朝臣の墓
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