01
『おさとうやま』の上にあった小屋
(宮城県東松島市/2020年8月撮影)
Nobiru Sato's Hill
【 宮城県東松島市 / 2020年8月 】
あるとき、グーグルマップで東松島市の野蒜(のびる)のあたりを見ていたら、「東松島市東日本大震災復興祈念公園」(以下「祈念公園」)の近くに『おさとうやま』という場所があるのを見つけました。
『おさとうやま』とひらがなで書いてあるのを見て、はじめはあの白くて甘い「お砂糖」が頭に浮かんで、 ―――なんだろういこの可愛らしい名前は!? なにか「お砂糖」にまつわる昔話でも残っている山なのかな!?と思いました。
どんな場所か興味があったから、後日、車で東松島市の方へ出かけた折に、この場所に行ってみました!
グーグルマップで『おさとうやま』となっている場所は、県道27号沿いにあるちょっとした高台でした。
「祈念公園」から東方100~200mの位置。
「祈念公園」側から近づいてみると、どこからも登れそうにない高台に見えたから、その反対側になる『おさとうやま』の東側に回ってみました。
そしたら、小さな個人の畑みたいな場所があって、そこに立て札が3つくらいある登り口がありました。
これらの立て札には、『おさとうやま』についてその名前の由来、そしてどういった山なのかが全て書かれていました。
意外にも早く、この山のことを正しくしることができました。
詳しくは立札を写した画像(04・05)を見てください。
僕は野蒜には震災後も何度となく訪れているけれど、東日本大震災のときに、この『おさとうやま』のおかげで70人以上もの人たちが津波から逃れたことを、初めて知りました。
『おさとうやま』という名前の由来は、僕が想像したのと全く違い、佐藤さんの山であることから「佐藤山」、そしてそれを敬う気持ちを込め「御(お)」を付けた呼び方で『おさとうやま』という名前だったのです。
人々が津波から逃れたというこの山の上を、実際に見てみたいと思いました。
立て札によれば、書いてあるルールを守ればこの敷地に入ってもいいようなので、それを心掛け、登らせてもらいました。
標高30mということですが、現地での周囲の土地の高さからは、ざっと見たかんじでは10mくらいの高さのように見えます。
車止めのコンクリートやブロック塀のブロックで造られた階段を少し上ると、高台の上には小屋が建っていました。
小屋の中は居間のような部屋になっていて、イスやテーブル、お茶のポットなどがあり、ふだんは人がいそうな感じがしました。
お邪魔させてもらっているので、ひと言挨拶をして横を通ろうと思ったんですが、何度か声を掛けてみたけれど返事はなく、このときは無人のようでした。
山の上は庭のようにもなっていて、屋外にもベンチやテーブルなどが置かれていました。
野蒜には『おさとうやま』と呼ばれるこのような場所もあったんですね。
02『おさとうやま』の東側。 画像中央に、立て札や登り口が写っています。
03登り口。
04立て札のひとつ。
05立て札のひとつ。
06高台へ上る途中の階段。
07高台の上にあった小屋。
[備考] 場所: 宮城県東松島市野蒜北針生
『おさとうやま』の上にあった小屋
(宮城県東松島市/2020年8月撮影)
Nobiru Sato's Hill
【 宮城県東松島市 / 2020年8月 】
あるとき、グーグルマップで東松島市の野蒜(のびる)のあたりを見ていたら、「東松島市東日本大震災復興祈念公園」(以下「祈念公園」)の近くに『おさとうやま』という場所があるのを見つけました。
『おさとうやま』とひらがなで書いてあるのを見て、はじめはあの白くて甘い「お砂糖」が頭に浮かんで、 ―――なんだろういこの可愛らしい名前は!? なにか「お砂糖」にまつわる昔話でも残っている山なのかな!?と思いました。
どんな場所か興味があったから、後日、車で東松島市の方へ出かけた折に、この場所に行ってみました!
グーグルマップで『おさとうやま』となっている場所は、県道27号沿いにあるちょっとした高台でした。
「祈念公園」から東方100~200mの位置。
「祈念公園」側から近づいてみると、どこからも登れそうにない高台に見えたから、その反対側になる『おさとうやま』の東側に回ってみました。
そしたら、小さな個人の畑みたいな場所があって、そこに立て札が3つくらいある登り口がありました。
これらの立て札には、『おさとうやま』についてその名前の由来、そしてどういった山なのかが全て書かれていました。
意外にも早く、この山のことを正しくしることができました。
詳しくは立札を写した画像(04・05)を見てください。
僕は野蒜には震災後も何度となく訪れているけれど、東日本大震災のときに、この『おさとうやま』のおかげで70人以上もの人たちが津波から逃れたことを、初めて知りました。
『おさとうやま』という名前の由来は、僕が想像したのと全く違い、佐藤さんの山であることから「佐藤山」、そしてそれを敬う気持ちを込め「御(お)」を付けた呼び方で『おさとうやま』という名前だったのです。
人々が津波から逃れたというこの山の上を、実際に見てみたいと思いました。
立て札によれば、書いてあるルールを守ればこの敷地に入ってもいいようなので、それを心掛け、登らせてもらいました。
標高30mということですが、現地での周囲の土地の高さからは、ざっと見たかんじでは10mくらいの高さのように見えます。
車止めのコンクリートやブロック塀のブロックで造られた階段を少し上ると、高台の上には小屋が建っていました。
小屋の中は居間のような部屋になっていて、イスやテーブル、お茶のポットなどがあり、ふだんは人がいそうな感じがしました。
お邪魔させてもらっているので、ひと言挨拶をして横を通ろうと思ったんですが、何度か声を掛けてみたけれど返事はなく、このときは無人のようでした。
山の上は庭のようにもなっていて、屋外にもベンチやテーブルなどが置かれていました。
野蒜には『おさとうやま』と呼ばれるこのような場所もあったんですね。
02『おさとうやま』の東側。 画像中央に、立て札や登り口が写っています。
03登り口。
04立て札のひとつ。
05立て札のひとつ。
06高台へ上る途中の階段。
07高台の上にあった小屋。
[備考] 場所: 宮城県東松島市野蒜北針生
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