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玉ヶ池
(宮城県・大和町/2017年4月撮影)
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「玉ヶ池」 のある場所。 左に写っているのが 「玉ヶ池」。 右側に写っている屋根をかけてあるのが版碑。 版碑より手前の地面にあるのが 「田村将軍公御腰掛石」 のようです。
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案内板の説明文に “鎌倉時代の正応2年(1289)や正応3年(1290)の板碑(石製の供養塔)” と書かれている版碑。
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「玉ヶ池」 の案内板と案内柱。
【 宮城県・大和町、2017年4月 】
このあいだ、大和町(たいわちょう)にある南川ダム(みなみかわ だむ)の近くを車で走っていたら、道路から少し入ったところに、案内板と白い案内柱が見えたので、何があるのか気になったから行ってみました。
「玉ヶ池(たまがいけ)」 というのがあるみたいで、案内板にはその池の説明がかいてありました。
枯れない湧水が流れ込み、干あがることのない 「神水」 と云われる池だそうです。
案内板と案内柱のところから100mくらい奥へ歩いて行くと、それらしき池がありました。
小さくて浅い池で、短い木の橋が架けてありました。
そばには700年前のものだという版碑がありました。
「神水」 だと聞くと、―――なんとなく神秘的な雰囲気があるようにも思えました。
春先で、まだ冬の風景のままのような、茶かげた色ばかりの森のなかで、この池の畔には、やけに青々とした草が多いような気もしました。
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玉ヶ池
この広場の北東にある玉ヶ池は、七ツ森の山のひとつ鎌倉山からこんこんと湧き出る清水が流入している池で、干ばつの時でも水が絶える事がなかったと言われ、付近の水田を潤す恵の「神水」として信仰の対象になっていたと考えられています。
池のほとりには、鎌倉時代の正応2年(1289)や正応3年(1290)の板碑(石製の供養塔)があり、これらは池の北側に屋敷があったと言う地頭によって建てられたものと考えられています。
伝説によれば、奈良・平安時代の武人である坂上田村麻呂は、七ツ森で狩をした時に玉ヶ池に立ち寄り、ここの南方の悪田(あくだ)地区に住んでいた悪玉姫(あくだまひめ)という女性を見初めて妻にしたと言います。悪玉姫は、毎日、玉ヶ池の清水を飲み、その水で顔を洗ったため、大変美しい女性であったとも言います。版碑の近くには、田村麻呂が腰かけたと伝わる御腰掛石があります。また、池に生える菖蒲は、根が必ず石をつかむために石菖蒲と呼ばれ、かつては薬に利用する人々もいました。
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(現地案内板より)
[備考] 場所: 宮城県黒川郡大和町吉田 / 観光料: 無料(自由) / 駐車場: あり(駐車スペースあり、無料) / トイレ: 不明(公衆トイレがあったけど使用できるかどうかは見てこなかった) / ※ これらは僕のかってな所見です
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