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高橋義次、記念館、生家跡、栗南公園、若柳、栗原市、宮城県、画像、仙台人が仙台観光をしてるブログ、与平

高橋義次像
(宮城県栗原市/2017年3月撮影)
Bronze statue of Takahashi Yoshitsugu
















2017年3月、栗原市(くりはら し)へ車で出かけたとき、手持ちの市販道路地図を見ていたら、「若柳IC(わかやなぎ インターチェンジ)」(みやぎ県北道路)のそばに 「高橋義次記念館(たかはしよしつぐ きねんかん)」 と記された場所を見つけたので、どんな場所か見に行ってみました。

あとからグーグルマップで調べた住所だと、宮城県栗原市若柳上畑岡かけ、となっています。 県道176号沿いだけど、入口があるのは、横の脇道から回り込んだ裏側でした。



手持ちの市販道路地図で “記念館” と書いてあったから、なにか建物があって館内の物を見たりする場所かな!?と思ったんですが、そういった建物はありませんでした。

案内板があったので読んでみたら、どうやら以前は1900年建築の高橋義次の生家があって、それを記念館として残していたようですが、2011年3月11日発生の東日本大震災で損壊して、解体してしまったようです。

今は 「高橋義次記念館」 ではなく 「高橋義次生家跡」 となったようです。 生家があった場所は、砂利を敷いた平らな土地になっていて、跡形もありませんでした。 案内板に、記念館になっていた頃の生家の写真が載せてあったので、どんな建物だったのか、その外観だけは知ることができました。



すぐ横には、高さ20メートルくらいの小さい山があり、登ってみると、上には 「高橋義次像」 がありました。 登ったといっても、たった100メートルくらいです。 途中には、ブランコの屋外遊具のある場所も見えました。

全体として、「栗南公演(りつなん こうえん)」 という公園になっているみたいです。



「高橋義次像」 から周りを見回すと、たくさん桜の木があるのに気が付きました。 花が咲いたらきっと綺麗だろうから、春にまた訪れてみたいです。








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現地にあった案内板の写真部分です。 真んなかの写真に写っている生家が以前は建っていたんですね。 見学してみたかった。





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画像中央の平らな砂利の土地に、東日本大震災のときまでは、記念館になっていた高橋義次・生家があったようです。





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「栗南公園」 のようす。





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「栗南公園」 の 「高橋義次像」。





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「高橋義次像」 のところから見えた風景。 田園が広がっていた。





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「高橋義次像」 のそばにあった石碑。





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県道176号と 「栗南公園」。 高くなったところの上に 「高橋義次像」 がある。












(現地案内板より)
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高橋義次氏生家跡

 高橋義次(たかはし・よしつぐ)氏は、1882(明治15)年、この地に高橋良治氏の次男として生まれ、宮城師範学校(宮城教育大学の前身)、日本大学法学部英法科を経て、1917(大正6)年弁護士試験に合格し、以後東京弁護士会常議員、東京弁護士会会長、日本弁護士連合会会長などを歴任し、我が国の法曹界に重きをなした。
 この間、先の大戦の終結に伴い連合国が戦争犯罪人として指定した我が国の指導者などを裁くため1946(昭和21)年から1948(昭和12)年にかけて行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)では、開戦時の海軍大臣であった嶋田繁太郎(しまだ・しげたろう)の日本側弁護人を務めた。
 終戦直後で被告はもとより弁護人の生活もきわめて困難な状況の中、日本側の要請によるアメリカ人弁護人と協力し、連合国を相手に堂々と論陣を張ったと伝えられている。
 また、東京市の芝区議会議員、市議会議員を務め、1932(昭和7)年には衆議院議員選挙に民政党から立候補し当選するなど政治家としても活躍した。
 さらに、財団法人仙台育英会理事、在東京宮城県人会名誉会長なども歴任し、後進の指導にも尽力した。
 このような功績により1964(昭和39)年に勲三等旭日中上昇綬賞に叙されたが1969(昭和44)年の死去(享年86歳)に際し正四位勲二等瑞宝章を昇叙されたほか、この間、旧栗原郡名誉軍民、旧若柳町名誉町民に推載されている。
 この生家は1900(明治33)年の建築で、1967(昭和42)年に高橋義次氏から土地及び建物を旧若柳町に寄贈されたものである。
 旧若柳町では建物を高橋義次記念館として集会の用に供し、土地は1968(昭和43)年明治百年記念事業として栗南公演(りつなん・こうえん)を造成・整備し、1974(昭和49)年には地域の町民により「栗南公園を守る会」が設立され、高橋義次記念館及び栗南公園の維持・管理を行ってきた。
 しかし、2011(平成23)年の東日本大震災により高橋義次記念館が損壊し危険な状態となったことから解体の止むなきに至った。
 解体にあたり高橋義次氏の遺徳が後世に継承されることを願い、氏の大いなる功績の一端を記すものである。
 平成28年3月
栗原市
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(画像保存品質設定 94)

[備考] 場所: 宮城県栗原市若柳上畑岡かけ / 入園料: 無料(自由) / 駐車場: あり(無料・数台分) / トイレ: なし / ※これらは僕のかってな所見です

参考地図:





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