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「太十郎のジャケット」 奥松島縄文村歴史資料館
(宮城県東松島市/2018年9月撮影)
02奥松島縄文村歴史資料館の入口
03館内のようす
04館内の展示のようす
05階層断面、展示物 / 約2500年前のほんものの貝塚を剥ぎ取ったもの、だそうです。 東松島市の宮戸島にある「里浜貝塚」のもの。
06里浜縄文人の食べかす / 「里浜貝塚」から出土したもの。
07展示物
08シアタ / 「里浜貝塚」の縄文人の暮らしを再現した15分くらいのVTRが観られました。 「里浜貝塚」の縄文人をイメージするにすごく役立つと思います。 入館者が希望すると上映を始めてくれるようになっていました。
09竪穴住居 / 屋外に造ってある竪穴住居
10竪穴住居のなか / 入ることはできなかったけど、外からなかがのぞけました。
11裏庭みたいな場所
【 宮城県東松島市 / 2018年9月 】
「多十郎(たじゅうろう)」は、日本で初めて世界一周をした漂流船若宮丸の乗組員の一人だった人物です。
(「太十郎」とも。東松島市の室浜出身。1770~1806。)
『多十郎のジャケット』なるものが、東松島市にある「奥松島 縄文村 歴史 資料館」に展示されているというので、このあいだ見てきました!
ロシアに漂着し、日本へ帰国するまでの道のりのなかで、「多十郎」がサンクトペテルブルグで皇帝から与えられたというジャケットだそうです。
非常に貴重なものだから、館内にドーン!と飾ってあるかと思ったら、意外にも『多十郎のジャケット』が展示してあるのは、なんとも見つけづらい、展示室のすみっこの、やや、柱のかげになった場所でした。
どうやら、保存のために光などが当たりにくい場所に置いているようです。
ガラスケースに入り、照明もほとんど当てられていませんでした。
『多十郎のジャケット』は、―――ボロボロ!でした。
ほつれたり、破れたり、くちたり、―――とにかく、かなり劣化していました。
ここに展示される前は個人が保管していたらしく、そのときに劣化が進んだらしいのです。
ジャケットの大きさは、僕が見たかんじでは、今の男性服のサイズでいうとたぶんSサイズ。
そもそもは皇帝が使用していたジャケットなのでその人物に合わせたものだけど、もし与えられた「多十郎」も着ていたとすれば、「多十郎」という人物は、けっこう小柄だったのかもしれませんね。
―――むかし、わが宮城県に日本人初の世界一周をした人物がいて、その証となるものを遺し、今、自分が時を超えてそれを見ている。
そう考えるとわくわくします。
もっと、漂流船若宮丸の帰国した乗組員にまつわるいろんな場所を見てみたくなりました。
僕が「奥松島縄文村歴史資料館」に入館したのは、10年か20年ぶりです。
前に見たときはどんなようすだったから、まったく覚えていません・・・(汗)。
今回は館内などの画像もたくさん撮ってきて、のせておきました。
この施設は、東松島市の遺跡についての解説、再現模型、縄文人の生活の再現VTR、発掘された縄文時代の資料展示が中心でした。
入館料は大人400円。(JAF会員割引で300円になった。)
ブログ内タグ
⇒ 若宮丸漂流民
参考地図:奥松島縄文村歴史資料館
「太十郎のジャケット」 奥松島縄文村歴史資料館
(宮城県東松島市/2018年9月撮影)
多十郎の上着
寛政5(1793)年に石巻から藩米と御用木材を積み、江戸に向かう途中で漂流した若宮丸乗組員の一人、奥田多十郎(太十郎、東松島市室浜出身)の上着です。ロシアに漂着し、11年を経て帰郷を果たした乗組員4名のうちの一人で、帰国する前に、ロシア皇帝アレクサンドル1世から賜ったとされるものです。素材はシルクと麻の機械織りで、中布は麻と木綿、青い染料は合成染料と考えられます。肩幅38cm、胸幅85cm、腰回り(裾幅)65cm、袖の長さ40cm。
寛政5(1793)年に石巻から藩米と御用木材を積み、江戸に向かう途中で漂流した若宮丸乗組員の一人、奥田多十郎(太十郎、東松島市室浜出身)の上着です。ロシアに漂着し、11年を経て帰郷を果たした乗組員4名のうちの一人で、帰国する前に、ロシア皇帝アレクサンドル1世から賜ったとされるものです。素材はシルクと麻の機械織りで、中布は麻と木綿、青い染料は合成染料と考えられます。肩幅38cm、胸幅85cm、腰回り(裾幅)65cm、袖の長さ40cm。
(現地、展示物の案内より)
02奥松島縄文村歴史資料館の入口
03館内のようす
04館内の展示のようす
05階層断面、展示物 / 約2500年前のほんものの貝塚を剥ぎ取ったもの、だそうです。 東松島市の宮戸島にある「里浜貝塚」のもの。
06里浜縄文人の食べかす / 「里浜貝塚」から出土したもの。
07展示物
08シアタ / 「里浜貝塚」の縄文人の暮らしを再現した15分くらいのVTRが観られました。 「里浜貝塚」の縄文人をイメージするにすごく役立つと思います。 入館者が希望すると上映を始めてくれるようになっていました。
09竪穴住居 / 屋外に造ってある竪穴住居
10竪穴住居のなか / 入ることはできなかったけど、外からなかがのぞけました。
11裏庭みたいな場所
【 宮城県東松島市 / 2018年9月 】
「多十郎(たじゅうろう)」は、日本で初めて世界一周をした漂流船若宮丸の乗組員の一人だった人物です。
(「太十郎」とも。東松島市の室浜出身。1770~1806。)
『多十郎のジャケット』なるものが、東松島市にある「奥松島 縄文村 歴史 資料館」に展示されているというので、このあいだ見てきました!
ロシアに漂着し、日本へ帰国するまでの道のりのなかで、「多十郎」がサンクトペテルブルグで皇帝から与えられたというジャケットだそうです。
非常に貴重なものだから、館内にドーン!と飾ってあるかと思ったら、意外にも『多十郎のジャケット』が展示してあるのは、なんとも見つけづらい、展示室のすみっこの、やや、柱のかげになった場所でした。
どうやら、保存のために光などが当たりにくい場所に置いているようです。
ガラスケースに入り、照明もほとんど当てられていませんでした。
『多十郎のジャケット』は、―――ボロボロ!でした。
ほつれたり、破れたり、くちたり、―――とにかく、かなり劣化していました。
ここに展示される前は個人が保管していたらしく、そのときに劣化が進んだらしいのです。
ジャケットの大きさは、僕が見たかんじでは、今の男性服のサイズでいうとたぶんSサイズ。
そもそもは皇帝が使用していたジャケットなのでその人物に合わせたものだけど、もし与えられた「多十郎」も着ていたとすれば、「多十郎」という人物は、けっこう小柄だったのかもしれませんね。
―――むかし、わが宮城県に日本人初の世界一周をした人物がいて、その証となるものを遺し、今、自分が時を超えてそれを見ている。
そう考えるとわくわくします。
もっと、漂流船若宮丸の帰国した乗組員にまつわるいろんな場所を見てみたくなりました。
僕が「奥松島縄文村歴史資料館」に入館したのは、10年か20年ぶりです。
前に見たときはどんなようすだったから、まったく覚えていません・・・(汗)。
今回は館内などの画像もたくさん撮ってきて、のせておきました。
この施設は、東松島市の遺跡についての解説、再現模型、縄文人の生活の再現VTR、発掘された縄文時代の資料展示が中心でした。
入館料は大人400円。(JAF会員割引で300円になった。)
ブログ内タグ
⇒ 若宮丸漂流民
参考地図:奥松島縄文村歴史資料館
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