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三嶽山大聖寺跡、美里町、宮城県、画像、仙台人が仙台観光をしてるブログ、与平
[三嶽山大聖寺跡]









(※ この記事内の画像は2017年7月にとったものです。 ブログ投稿日のものじゃありません。)






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[三嶽山大聖寺跡の鐘楼]






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[三嶽山大聖寺跡]






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[三嶽山大聖寺跡・不動堂記念館]






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[三嶽山大聖寺跡]






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[三嶽山大聖寺跡・狛犬]






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[三嶽山大聖寺跡・狛犬]






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[三嶽山大聖寺跡・地蔵]






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[三嶽山大聖寺跡・ドクダミ]









【 宮城県・美里町、2017年7月】

美里町(みさとまち)で小牛田(こごた)辺りから南郷(なんごう)の方に向かって涌谷三本木線(わくやさんぼんぎせん)という道路を車で走っていたとき、気まぐれで脇道に入ってみたら、なにやら案内板の設置されている場所がありました。

ほんと、たまたま見つけた場所です。

案内板には―――

三嶽山大聖寺跡(みたけさんだいしょうじあと)
 元和7年(1627年)日光院順慶(にっこういんじゅんけい)が開山した寺院で、寛文元年(1661年)後藤近康(ごとうちかやす)が堂宇(どうう)を造営しましたが、長い間に荒廃し、寛保3年(1743年)後藤元康(もとやす)が再営しました。その後、火災により焼失し、安永元年(1772年)後藤寿康(としやす)が再び建立しました。
 現代となって、町内最古の木造建築といわれましたが、平成6年(19994年)にお堂が焼失し、保存していた五大藩主伊達吉村(ごだい はんしゅ だてよりむら)の染筆(せんぴつ)と伝えられる額や掛軸などの文化財も焼失しました。
 その後、不動堂奉賛会(ほうさんかい)により復興の申し立てがなされ、不動堂記念館が建設され、平成8年に小牛田町に寄付されました。現在は歴史を学ぶ史跡公園として整備されています。


―――と書いてありました。

文中の漢字にはすべて小文字でふりがながしてあって、僕でもぜんぶ読めるようになっていました。

そういうの、ほんと助かる! やっぱり、なんて読むんだろ!?っていう漢字がいくつか出てくると、わけが分からなくなって一気に文章への興味が冷め舞てしまいますよね(笑)。

と書きながら、このブログでは小文字でふりがなが付けられないので、全て()を付けると文章が非常に読みづらくなることもあって、実際に案内板にあったうちの半分くらいしか漢字に読み仮名を付けませんでした。 ご了承ください(汗)

あと、僕なぞがちょと差し出がましいのですが―――、文中に出てくる “五大藩主伊達吉村” の部分の 「」 は、おそらく 「代」 の誤字で、「五代藩主伊達吉村」 となるはずと思います。 しっけい。

ここは、荒廃や焼失がありながら、いくども建て直されてきた歴史ある場所のようです。

今は神社ではなく記念館という建物があるばしょだけど、その境内に残る地蔵や狛犬には、頭巾や手編みの帽子がかぶせられていたりして、今でも手厚く扱われている場所なんだなあと思いました。

美里町にはこういった場所もあったんですね。

・・・まあ、僕が知ったところで、そしてブログにのせたところで、どうなるってこともありませんが、宮城県の探さく!探険!をしてゆくうえで、こういった場所もひとつずつ見てゆかないと、地元を深く知ることはできないのだなあと思っています。










場所: 宮城県遠田郡美里町西舘

参考地図:




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