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利府町の梨栽培の始まりになった梨の木
(宮城県・利府町/2018年10月撮影)







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逆光の画像で見づらいけど、こういった場所だったということで見てください。 画像中央の低い木が梨の木。 まわりには板碑、案内柱、案内板があります。



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梨の木がある「利府駅前2号公園」。 「指定避難所」と書いてある看板の裏にあるのが梨の木。




【 2018年10月 / 宮城県・利府町 】


何のテレビ番組でか忘れてしまったけど、前に、利府町(りふちょう)の梨栽培の始まりになった木が今も残っているというのを見ました。

利府町といえば梨!

宮城県では、利府町は梨の産地としてよく知られています。



それがどんな木かいっぺん見てみたかったから、とある秋の日、車で利府町方へ行ったときに、その木を探して見てきました!



梨の木があったのは、利府駅から300メートルくらいのところにある「利府駅前2号公園」。

貴重な木なのだから、きっと厳重に保護されているだろうと想像したけど、―――意外と、公園の片隅で自然に枝をのばしていました。

ここにそういった木があると知らなかったら、もし僕が公園の前を車で通りがかっても、気づかずに素通りしてしまいそうです。

・・・というか、すでに素通りしたことがあるような気がします(笑)。



梨の木の周りには、板碑、案内柱、案内板がありました。

案内板によれば、この木は、1884年に、亡き「日野藤吉(ひのとうきち)」氏が利府町で梨栽培を始めたときに植えた苗木のうちの一本だそうです。

まさに、利府町といえば梨!の始まりとなった木ですね。



130年前の木だけど、今でも実をつけるのかな? と思って、木の枝や地面に目を凝らしてみると、―――実が落ちていました!

ひとつ、ふたつだったけど。

でも、この秋も、ちゃんと身をつけたようです。

すごい活力ですね。

見つけた実は落ちてから日にちが経っていて、真っ黒に腐ってグジュッと潰れていたので、画像はいちおう撮ったけど、ブログにはのせません(汗)。

梨の木も、そんな実を見せられることは、きっと不本意でしょう(笑)。



たぶんこの木がなかったら、利府町の梨栽培が130年前に亡き「日野藤吉」という方から始まったということを、僕は知らなかったと思います。





利府の翁
この梨の木は、明治17年(1884)に日野藤吉さんが利府の地に初めて植えたものです。傍らにある碑は、梨を特産品としたパイオニア精神を讃えたものです。
(現地案内柱より)

「真鍮梨」
明治17年、亡き日野藤吉が水田20aを埋め立て、苗木150本を植えたのが、本町の梨栽培の始まりです。
この木は、その時に植えた苗木の一本です。
いたずらしないでください。
(現地案内板より)





※ 2019年1月1日からブログ管理人の名前を「与平」から「Tanji(タンジ)」に変えました。




[備考] 場所: 宮城県宮城郡利府町中央2丁目4 / 観賞: 自由(無料) / トイレ: あり(公園の公衆トイレ) / 駐車場: なし / ※ 僕のかってな所見です

参考地図: 利府駅前2号公園

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