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鴇波洗堰
(宮城県登米市、2017年9月撮影)
(※ この記事の内容と記事内の画像は2017年9月のものです。)
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[鴇波洗堰]
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[鴇波洗堰]
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[ススキと鴇波洗堰]
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[鴇波洗堰の魚道]
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[鴇波洗堰の上]
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[鴇波水門]
【 宮城県登米市、2017年9月 】
このあいだ、車で登米市へ出かけたとき、豊里(とよさと)にある 『鴇波洗堰(ときなみあらいぜき)』 に行って、画像を撮ってきました!
何年か前にも行ったことがあるんですが、そのときは、堰の上でなにやら作業をやっていて、どう撮っても、作業の軽トラやブルシートが思いっ切りいっしょに写ってしまうから、そのとき撮った画像は、ブログにのせていないんです。
また日を改めて撮りに行こう――――――、なんて思っていながらけっこう経ちましたが(汗)、豊里の方へ出かけていて、晴れた青空の日で、わりと正面から日が当たっている時間帯に行く!なんていう機会がなかなかありませんでした。
ちょっとした絵画のような風景――――――と言うんでしょうか、『鴇波洗堰』 は、「今に残る、二つか三つ昔の風景」 といった独特の雰囲気を持つ構造物です。
まあ僕では、この場所のことを詳しく説明できないので、現地の案内板にあった説明文を、のちほど書き写しておきます・・・。
で、僕がするのは、たいした話じゃないんですが・・・・・・
『鴇波洗堰』 ってなんだか難しい名前ですよね。
僕は初めて見たとき、そもそもなんて読むんだろう!?って思いました(汗)。
堰という字が付いているから、まあ、堰のことだとはなんとなく分かりましたけど・・・。
冒頭の方でも一度読み仮名を付けましたが、“ときなみあらいぜき” と読む 『鴇波洗堰』 は、「鴇波」 という地名の付いた 「洗堰(あらいぜき)」 という種類の堰だから、この名前になっているみたいです。
――――――「鴇波」 という地名なんですが、
てっきり、ここが 「鴇波」 という地名の場所かと思ったら、住所は 「豊里中谷岐(なかやぎ)」 でした。
で、近くにも 「鴇波」 という住所はないんです。
不思議に思ったからちょっとネットで調べてみたところ、――――――どうやら 「鴇波」 というのは、現在は住所として残っていない古い地名のようです。
昔ここらへんは、鴇波村(ときなみむら)という村だったみたいです。
「鴇波洗堰」 と言う名前は、たぶんそこから来ている名前なんだと思います。
(確認はしていません、僕がかってに書いている予想です。)
鴇波村の地名の名残りみたいなのは他にもあって、近くには、鴇波コミュニティーセンターという施設があったり、三陸自動車道には鴇波トンネルというのがあったりします。
あと、よく町村が合併後には何々地区という呼ばれ方をするように、ここらへんを指す鴇波地区という言葉も、ネット上で見かけました。
――――――「洗堰」 なんですが、
堰というのは河川や湖沼につくられる、水をせき止めたり流れを分けたりする構造物。
それくらいは僕でも知っていたけど、「洗堰」 っていうはなんのことだか知りませんでした。
ちょっとネットで調べてみたところ、――――――「洗堰」 というのは、河川や湖沼の水がものすごく増えたときは、あらかじめ水が堰の上を越えて流れて行くように造られた堰のことみたいです。
『鴇波洗堰』 の上には道があって、歩けるようになっていました。
堰の端まで行って、通水部の排水口を近くで見たら、ザーーーっと、とにかくものすごい勢いで水が流れ出ていて、そのようすに恐ろしくなって足がすくみました・・・。
堰の上はけっこう危ない場所なんですが、柵とかもなく、僕が歩いたところには、立入禁止の立札なんかも見かけませんでした。
これ、大丈夫なのかな・・・、とちょっと心配になる現状でした(汗)。
もしかしたら、「洗堰」 だから、増水して堰の上を河水が流れたとき、流れてきたものが引っかかると堰が壊れるから、柵とかを付けられないのかも知れませんね。
本当にそうなのかは確認していませんけど・・・。
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[追記 2021年11月]
2021年10月にまたこの場所に行きました。 そしたら、堰の上へ行く道に “立入禁止” の立札が設置され、行けなくなっていました。 現在、堰の上は立入禁止になっています。 2017年のこの記事の時にはなかったので、僕の他にも堰見物の人や散歩みたいな人が歩いていたりしたけど、やっぱり危ない場所ですよね。 この記事内の画像3~6は、現在は立入禁止となっている場所で撮ったものです。
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鴇波洗堰(ときなみあらいぜき)
鴇波洗堰は、北上川第一期改修工事(明治44年~昭和9年)において、北上川の洪水を新たに開削(かいさく)した北上川本川と旧北上川へ計画的に分水(ぶんすい)させるため脇谷洗堰(わきやあらいぜき)などとともに建設された施設です。鴇波洗堰の構造は、オフィフェス(※)を有する固定堰(こていぜき)で通水部幅0.94m・高さ1.35m・長さ37.0m・18門で構成されており、右岸側に魚道が(ぎょどう)が設けられています。
地盤の強度不足等の理由により当初の建設計画から度重なる設計変更を経て、現在の洗堰が建設されました。当時、国内では信州川大河津(おおこうづ)分水(新潟県)など同様の分水工事が行われています。これらの施設は、河川分水技術の黎明期(れいめいき)に土木技術者が試行錯誤のうえ建設したもので、文化的な価値としても極めて高い貴重な土木遺産です。
※オリフェス・・・構造物に設けた穴から、水を流す構造のこと。
大正5年2月着工。昭和7年3月竣工。(現地案内板より)
[備考] 場所: 宮城県登米市豊里町中谷岐
●現地に立入禁止の立札などはありませんでしたが、危険だと思う場所は自ら行かない方が無難だと思います。
参考地図: 鴇波洗堰
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