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当信寺にある「真田阿梅・真田大八の墓」 (宮城県白石市) 





2013年11月、宮城県南部の方面に出かけたとき、白石市の当信寺にある 「真田阿梅・真田大八の墓」 を見てきました。

戦国時代の名将で知られる真田幸村、この場所は幸村の 「三女・阿梅」 と 「二男・大八」 の墓なんだそうです。

なんで幸村の三女と次男の墓が宮城県白石市にあるのかというと、それについては、幸村と白石城主・片倉小十郎重長との間に、こんな逸話が残っています。

幸村は大阪夏の陣で討たれる直前、敵軍の武将だったにもかかわらず重長を見込み、自分の子らをたくしたそうです。

重長はその子たちをあずかって、幸村の子だとわからないようにかくまい、後に阿梅は重長の正室が亡くなっに後の後室、大八は家臣に召し抱えたというのです。

この逸話は白石市観光で見聞きすることがあったり、毎年10月に開催される 「鬼小十郎まつり」 での 『片倉軍vs真田軍・決戦大坂夏の陣~道明寺の戦い~』 という再現劇でも、話のなかに出てきたりします。

なので、以前から機会があったら 「真田阿梅・真田大八の墓」 を実際に見てみたいと思っていました。



当信寺があったのは、白石城から東南500メートルくらいの位置です。

寺境内の墓地園に墓はありました。




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