【宮城県大河原町】 2022年12月のこと

大河原町(おおがわらまち)にある「最勝院(さいしょういん)」というお寺を訪れました。

このお寺には、春に見事な咲き姿を見せる立派な藤棚があります。

僕は春になると車でフジの花巡りをしているのですが、大河原町のある宮城県南部の方へ行ったときは、「最勝院」にも立ち寄っています。
綺麗に咲いていた大河原町・最勝院の藤棚

いつもはフジの花を見て行くだけだったので、一度このお寺をじっくり見てみたいと思っていました。

「最勝院」の墓地園には、「高山開治郎(たかやまかいじろう)の墓」があります。 “白石川堤防(しろいしがわていぼう)に桜樹一千余本を植樹。現在の「一目千本桜(ひとめせんぼんざくら)」の基を築いた” という方のお墓だそうです。

「白石川堤一目千本桜」は、宮城県人なら知らない人はいない宮城県のお花見名所。

僕は、「白石川堤一目千本桜」の咲く風景を何度なく見てきたけど、このような人物の存在に目を向けたことはありませんでした。

このお寺をじっくり見ることがなければ、なかなか知る機会もなかったことだと思います。

地元というのは、ただ長く住んでいるだけで、何でも知ったような気になってしまいます。 やっぱり自分で見て歩くことって大事ですね。




01 最勝院・墓・浅草宇一郎・高山開治郎、大河原町
[01] 「最勝院」山門。


02 最勝院・墓・浅草宇一郎・高山開治郎、大河原町
[02] 「最勝院」、山門のへん額。


03 最勝院・墓・浅草宇一郎・高山開治郎、大河原町
[03] 「最勝院」、山門の彫刻。


04 最勝院・墓・浅草宇一郎・高山開治郎、大河原町
[04] 「最勝院」、山門の彫刻。


06 最勝院・墓・浅草宇一郎・高山開治郎、大河原町
[05]  「浅草宇一郎の墓」
浅草宇一郎の墓
宇一郎は、文政元年(1818)大河原村に生まれ後に福島に移り目明しとなり、戊辰の役に際し、義によって仙台藩が行った新政府軍参謀世良修蔵の捕縛処刑に協力した。戊辰の役に残る大事件であった。明治二十三年(1892)七十五歳で波乱の生涯を終えた。
(案内柱より)


07 最勝院・墓・浅草宇一郎・高山開治郎、大河原町
[06] 「浅草宇一郎の墓」


08 最勝院・墓・浅草宇一郎・高山開治郎、大河原町
[07] 「高山開治郎の墓」
高山開治郎の墓
明治九(1876)年大河原村生まれの実業家。東京商機新聞社や東京美術館を経営するなど東京で成功し、大正十二(1923)年、白石川堤防に桜樹一千余本を植樹。現在の「一目千本桜」の基を築いた。昭和十七(1942)年逝去、準町葬で葬られる。
(案内柱より)


09 最勝院・墓・浅草宇一郎・高山開治郎、大河原町
[08] 「高山開治郎の墓」


10 最勝院・墓・浅草宇一郎・高山開治郎、大河原町
[09] 「高山開治郎の墓」


05 最勝院・墓・浅草宇一郎・高山開治郎、大河原町
[10] 山門付近にあった案内板



[現地情報] 場所:〒989-1242 宮城県柴田郡大河原町西浦229
参考地図:最勝院

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